存在すること
それは“境”があるということ
テーブルがあって、イスがある
コップがあり、コーヒーが入っている
部屋がある
私がいる
窓があり、窓の外には緑がある
それらは皆、“境”によって区切られている
テーブルとイスが区別される
コップとコーヒーが区別される
部屋と窓と私と緑が区別される
だからそれらは存在する
テーブルはイスではないし
コップはコーヒーでも部屋でも緑でもない
ましてや私は窓ではない
でも、もし“境”がなかったら?
何ものも区別できないとしたら?
──存在は闇に
私はテーブルであり、イスであり
窓であり、緑であり
何ものでもあり
宇宙そのものとなる
「時間」が存在する
「空間」が存在する
どうやって存在する?
“境”によって存在する
過去と今が区切られる
今と未来が区切られる
だから時間が存在する
上と下が区別され、前と後ろが分けられる
‘ここ’と‘そこ’が区切られる
だから空間が存在する
でも、もし“境”がなかったら?
何ものも区別できないとしたら?
──時空間は
過去も未来も区別がなくなり
なおかつ、今は過去でも未来でもある
上は下でもあり、前は後ろも兼ねる
‘ここ’は‘そこ’でもあり得る
「愛」は存在するか
愛もまた“境”があるから存在する
私とあなたが区別される
だから私はあなたを愛せる
愛と憎しみは分けられる
だから私は満たされる
でも、もし“境”がなかったら?
何ものも区別できないとしたら?
──愛と憎しみは融合する
私は私しか愛せなくなり
愛憎が一体となる
カフェオレをコーヒーとミルクに
分離できないように
愛憎は愛と憎しみには分離できない
存在すること
それは“境”があるということ
“境”があるから何ものかが存在する
“境”があるから‘私’がいる
“境”があるから‘今’がある
“境”があるから‘ここ’に立つ
“境”があるからあなたを愛する