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吉増剛造『詩とは何か』を読む⓪

2022年夏、僕はふと思い立って詩を書き始めた。
自分の中にある想いだとか思想だとか、
はたまた生きづらさだとか、
そういうなんというか…魂の内に抑圧された何か、
を表現してみたくなったのだ。
それでこのブログを立ち上げ、
思うがままに詩をつづってみた。
中には小説まがいのものもあるが、
それは僕が小説も書いてみたいというか、
小説家への憧れのようなものから来ている。
まぁ散文詩ということにしておこう。
とりあえず50編を上げたところで、
一旦区切りをつけて、少し寄り道をしようと思った。


正直に告白すれば、
僕は詩のことは何も知らないまま
詩を書き始めた。
詩集などほとんど読んだこともなく、
あるとすれば、
大学生の時にボードレールの『悪の華』(堀口大學 訳)
を少しかじったくらいだ。
それも、その時に放映していた
惡の華」というテレビアニメを観て
興味をもったからに過ぎない。
 
 
そんなわけで詩を書き始めたといっても、
それは僕の中にあった漠然とした詩のイメージ、
「詩ってこういうもんじゃね?」
というなんとなくの感覚、
もっと言えば先入観に基づいてのものであった。
小中学校の国語で習った、
金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」とか
谷川俊太郎の「生きる」とか
中原中也の「汚れつちまつた悲しみに」とか
そういうのが「詩」なのだと思っていた。


ところが先日、
文壇ぶんだんで活躍するようなプロの詩人が書く詩は
どういうものなのだろうと思って、
書店に立ち寄り、現代詩のコーナーにて
本をパラパラとめくってみたのだが…
愕然とした。
──まるで意味がわからない!
というのが率直な感想だった。


例えば、今回取り上げる本の著者である
吉増剛造よしますごうぞう氏の次の詩


>>

現代の、孤独の
歌うたう
しろがねの、白馬よ、ぼくの死霊よ
言語雪ふる、雪崩ついて疾駆せよ、疾駆して
実名にむかえ
ああ
空に魔子と書く
空に魔子一千行を書く
詩行一千行は手の大混乱ににている!
空に魔子と書く
空に魔子一千行を書く
魔子の、緑の、魔子の、緑の、魔子の、緑の
魔子の、緑の、魔子の、緑の、い触れけむ
純白の恋人、魔子に変身する!
死体のように正座する、一行の人名に触れ
 る!
いま
呪文が、一女優の名をかりて出現した!
 
吉増剛造『詩とは何か』講談社現代新書、pp.157-158)

<<


「古代天文台」という詩だが、
僕にはこれが何を表現しているのか理解不能であり、
(大変失礼だが)何が凄いのかよくわからなかった。
確かに「魔子の、緑の、魔子の、緑の、魔子の、緑の(…)」の辺りは
鬼気迫る感じがする。
しかし、これがなぜ「古代天文台」なのかは
よくわからない…。


だが、吉増剛造氏は国際的にも高く評価を受けた
現代日本を代表する詩人の一人であり、
この「古代天文台」という詩も英仏をはじめ、
さまざまな言語に翻訳されたそうだ。
つまり、この詩は文学史に残る名詩であり
世界的に高い価値をもつ作品である。
それを理解不能だからといって無視するのであれば、
これから詩作をしていく身としては
恥じ入るべきことであろう。


しかし、僕は反感のようなものを覚えてしまった。
この詩はほんの一例であり、
総じて現代詩というのは、抽象的で、婉曲えんきょく的で、
容易に意味のとれるようなものではない。
なぜこんなにわかりにくいのか…。
自分の中の想いや詩心ししんをもっとわかりやすく、
率直に表現できないのだろうか。
意味が伝わらなければ意味がないではないか。
…そんなことを不遜にも考えてしまった。


そうして僕はこのブログで
自分で思う、自分なりの「詩」を書いてみた。
だが、50編を上げてみたところで
僕は立ちすくんだ。
──果たしてこれは「詩」なのだろうか、と。
いや、もちろん詩には違いないのだろうが、
しかし、このまま僕は自分の考える「詩」を
書き続けたところで、
それは自意識を満たすだけであり、
自己満足の域を出ないのではないか?
という気持ちが漠然と湧いてきた。


言うなれば、僕の詩作は
所詮は趣味・アマチュアの領域を出ず、
文壇からは無視されるようなものに
留まってしまうのではないか。
僕がプロの詩人の詩を理解できないのは、
囲碁や将棋の世界でなぞらえるなら、
プロ棋士の打つ手筋が
素人には何が凄いのかよくわからないのと
同じではないか?
そんなふうに考えた。


要するに僕は詩を知らなさ過ぎるのである。
何も知らないから何が凄いのかもわからない。
スポーツ観戦にしても、
ルールを知らなければ何をやっているのかわからない。
逆に知識が増えれば、
さまざまな観点から試合を眺めることが出来て、
自分なりの意見をもつことも出来るようになり、
楽しく感じられるようになる。
それと一緒ではないか?


そんなわけで
少し詩の勉強をしてみようと思った。
読んだ本は吉増剛造氏の
『詩とは何か』(講談社現代新書)である。
再び正直に告白すれば、
僕はこの本を読むまで吉増剛造氏を知らなかった。
本当に僕は無知であった。


本を読んでいくうちに、
一流の詩人の凄みに触れることができた。
僕としては、吉増氏の圧倒的な「教養」に
頭が下がる思いであった。
国内外のさまざまな詩が
引用されるのはもちろんであるが、
この本には
哲学や文学、芸術、音楽、書、映画等の話も
自在に語られる。
音楽もクラシックやジャズから、
ジミヘンドリックスの話まで出てくる。


これが一流の詩人なのか…
読んでいて自分との圧倒的な格の違いを
思い知らされた。
本当に幅広い教養に裏打ちされた内容で
正直ついていけないところがあった。
それでも、
僕なりに何か学ぶところはあったと思う。


というわけで、
次回からは本の内容に触れつつ
僕が詩について学んだことを
書いていきたいと思う。