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吉増剛造『詩とは何か』を読む⑥

さて、
今回も前回の記事に引き続き
本書第二章「「戦後詩」という課題」
を読んでいく。


戦後日本の思想史にも
巨大な足跡を残した詩人・評論家である
吉本隆明よしもとたかあき──
本書では吉本氏の『日時計篇』
という詩篇の冒頭部が
取り上げられる。


吉本氏は戦後、
さまざまな分野での評論活動を行い、
時に激しい論争もしたようであるが、
それがどんなものであったのか、
どのような空気感で行われていたのか、
当時を生きていない僕は知らない。


ただ、僕は大学生の時、
吉本氏の『共同幻想論』を読んで、
そのあまりの難解さにひいひいしながらも
その超人的な思考に
魅せられたものだった。
 
 
しかし『共同幻想論』の難解さは
独特なものだった。
学生の時、
現代思想に興味のあった僕は
柄谷行人からたにこうじんの『世界史の構造』や
浅田彰の『構造と力』
といった思想書を読んでいた。


『世界史の構造』や『構造と力』も
難解な本ではあったが、
理路整然とした思考に沿って
書かれていたため、
まだ頑張ればその論旨を
つかむことは出来そうだった。


だが、『共同幻想論』は違った。
吉本氏の頭脳が超人的過ぎるのか、
必ずしも議論の筋道が
まっすぐに整ってはおらず、
複雑に曲がりくねったり、
錯綜したり、屈折したりと、
山道の途中で標識を見失うような、
あるいは
こんがらがったひもの結び目を解くような、
そんな徒労感に襲われる本だった。


どう頑張って読んでも
何を言っているのかさっぱりわからない。
だけど、時折理解できるところもあり、
そうした分かる部分をつなぎ合わせていくと
何だかとても崇高な思想に
触れられたような気がする。
そんな不思議な読書体験だった。


話がれたが、
そんな異様な頭脳を誇る吉本氏は
いったいどんな詩を書いていたのか、
さっそく読んでみよう。


>>

日時計
れんげ草が敷きつめられた七月末頃の野原で ぼくらは日時計を造りあげたものだつた
ぼくらといふのは病弱な少年と少女たちであつた
いまは午睡と新鮮なミルクの味と 衛生講和としか覚えてゐないが そのときぼくはひたすらに自らが病身と呼ばれることを嫌悪し かくれるやうにしてゐたと思ふ
日時計の文字盤はれんげ草の敷物であり アラビヤ数字は花々を編んで少女たちがこしらへあげた団杖とよばれる 武技のための杖をぼくらは中心に直立させた 子午線状を日の圏は燃えながら通つていつたし ぼくは家へ帰りたさをこらえながら 何のために見知らぬ少年や少女たちと一緒に日時計を見守つてゐなければならないかを疑はしく思つてゐた
 
そうして長い間 ぼくは承認しなかつたと思ふ 自らが病弱であるといふことについて
しかもあの日時計を造り上げた夏の気耻きはずかしさは 異なつた質にかへられたComplexとしてながくぼくのこころを占めてゐたのだ
それでしばしば 自らが正常なものの世界に加へられてゐないといふ意識の痕跡があの夏の日 同じ野原で何の拘束も与へられず 日時計のやうな知慧と羞耻に伴はれた遊びではない昆虫採りなどに駈けまはつてゐる子供達に対してぼくが抱いてゐたあの感じのうちにあることを知つた
 
吉増剛造『詩とは何か』講談社現代新書、pp.62-63)

<<


共同幻想論』の
イメージしかなかった僕は
この詩の意外なわかりやすさに
ちょっと面食らったが、
それでも、この何ともいえない
空気感のするこの詩に
読んでいてきつけられた。


詩の中の「ぼく」は病弱で、
夏の野原で他の子どもたちが
昆虫採りなどして駆け回る中、
同じく病弱な子らと
日時計をつくって遊ぶ他なかった。
そこに言い知れぬ嫌悪感、
気耻きはずかしさ」を感じていたという。


この詩について著者の吉増剛造よしますごうぞう氏は
次のように述べる。


>>

 しかし、なぜ吉本さんはそんなにも「気耻しさ」を感じていらっしゃるのでしょうか。
 やはりその背景には、ご自身の個人的な、であると同時に当時の日本人全体に共通するものでもあったはずの秩序、戦い、そして敗戦という「経験」があったはずです。
 この詩の中には「ぼく」の「病弱」を示唆することばがさりげなくちりばめられております。この「病弱」を恥じるということにも、現在とは異なったニュアンスが感じられます。当時の価値観でいえば、「いい兵隊」になれないということをそれは意味していたはずです。つまり「お国のため」に役に立たない。(…)当時の子供としての、あるいは「赤子」の吉本さんは「病弱」を認めたくなかった、でもしかしそれは、結局「軍国主義」という同じ価値観を吉本さんもまた他の人びとと共有していたということなのですね。もちろん吉本さんは単細胞に当時の価値観に自己同化していたわけではなかったでしょう。「自らが正常なものの世界に加へられてゐないといふ意識」をつねに抱いていて、この奇妙な儀式の間にもずっと「帰りたい」と思っていた。でもどうでしょう……もしも他の男の子たちのように吉本さんも「健康」だったとしたら。それでも吉本さんはこの奇妙な「遊び」から同じく距離を置いていることができたのでしょうか。そこは微妙だと思われます。ここからは、そのような、非常に微妙なアンビバレンツ、わずかな痛み、性の、傷のような、かすれたものを、その僅かな余地を読みとることが大事でしょう。
 ここでの「気恥ずかしさ」にはそのような「もどかしさ」、「居所のなさ」も同時に含まれているように、同じ時代の空気に少しでも触れていた者として、わたくしには思われてくるのです。
 これはやはり敗戦という経験がないと書かれなかった詩だと思います。経験をそのまま「写して」も、むろん詩にはなりませんけれども、まったく実存が揺り動かされるような経験がないところから「ほんものの」詩が立ち現れることはやはりない、……わたくしのような者が申し上げますのはいささか口幅くちはばったいような気もいたしますけれども、ここにはやはり一点の、「詩を書く」ということにおきます「真理」の場があるような気がいたしております。
 
(吉増、前掲書、pp66-67)

<<


なるほど。
この「気耻しさ」は
「いい兵隊」になれないことに対する
「ぼく」の嫌悪感やもどかしさなどを
表しているようだ。


もちろん
僕は戦時中を生きたわけではないので、
この「気耻しさ」を直接
感じることはできない。
が、僕としてはこの詩の
「自らが正常なものの世界に加へられてゐないといふ意識」
というのにはおおいに共鳴できると思う。


というのも、
僕もまた現代社会において
「いい兵隊」になれなかった
という意識があるからだ。
ここでいう「いい兵隊」
というのは文字通りの兵士ではなく、
「企業戦士」のことである。


僕は昔から
人とコミュニケーションをとるのが
大の苦手で、
人付き合いが全然出来ない
人間である。
飲み会やカラオケといったものが
本当に嫌で
そんなものに付き合うぐらいなら
最初から誰とも付き合わず、
一人でいる方が良いと思う
人間である。


そんな人間であるから
企業という組織にも
当然馴染なじめず、
いい歳して正社員で働くことなく、
独身フリーターとして
ぎりぎりの生活を営んでいる。


高校の時の部活の同期は
皆正社員や公務員として勤め、
結婚もして、
子どもを授かった者もいる。
同期のそういう
結婚や昇進や出産といった
知らせを受ける度に、
僕は言いようのない「気耻しさ」
を覚えた。
まさに
「自らが正常なものの世界に加へられてゐないといふ意識」
が湧いてきたのだ。


戦時中の日本では
軍国主義という価値観が支配して
──吉本氏の言葉でいえば
共同幻想」を妄信して──
男は皆「いい兵隊」になることが
当たり前であり、
そこから外れてしまった者は
恥ずべき存在として
罪悪感を負わねばならなかった。


現代日本において
戦争はないけれども、
僕のような人間からすれば
ある意味これと似たような
状況なのかもしれない。
軍国主義の代わりに
何といったらいいか…
いわば「コミュニケーション主義」
のようなものが支配しており、
そこに同化できない者は
社会の恥としての烙印らくいんを押される
感じがする。


ふつうの企業戦士たちは
仕事の合間や仕事終わりに
仲間や上司・部下たちと
たわいもないおしゃべりをして
絆を深めることだろう。
しかし、僕にはそれが出来ない。
その「たわいもないおしゃべり」
をすることが苦痛に感じてしまうのだ。


だからこそ
先ほど引用した吉本氏の詩に
僕はなんだか惹きつけれるものを
感じるのかもしれない。


…とまぁ、僕の苦悩は
さておくとして、
「詩とは何か」を学ぶ上で
吉増氏の言葉の中に
すごく重要なポイントがあった。


「経験をそのまま「写して」も、むろん詩にはなりませんけれども、まったく実存が揺り動かされるような経験がないところから「ほんものの」詩が立ち現れることはやはりない」


という部分だ。
「実存」という哲学用語が
使われているけれども、
(哲学者に怒られるかもしれないが)
これは「魂」と言い換えてしまっても
差しつかえないだろう。


つまり「魂」が
揺り動かされるような経験がないと
「ほんものの」詩が
立ち現れることはない。


魂の声を聞く。
魂の叫びを表現する。
──そう言うと何だか
安っぽいスローガンのように聞こえるが、
では一体
魂が揺り動かされるような経験からくる
詩とはどんなものなのだろうか?


一例として
ルーマニア生まれのパウル・ツェラン
という詩人の詩を見てみよう。
本書にはパウル・ツェランの略歴が
以下のように載っている。


>>

パウル・ツェラン(一九二〇 〜 一九七〇)──ユダヤ系ドイツ人の詩人。ナチス強制収容所で多くの同胞と両親を失った経験をモチーフに、象徴主義以降のヨーロッパ文学遺産を引き継ぎながら、痛切きわまりない抒情詩を数多く残したが、最後はパリのセーヌ川に飛び込み生涯を終えた。二十世紀を代表する詩人のひとり。
 
(吉増、前掲書、p83)

<<


最期には自ら川に飛び込んで
自殺するほどの苦悩を抱えていた詩人。
そんな人の「魂」の声とは
どんなものであったのか。
以下は「ストレッタ」という詩である。
(翻訳は飯吉光夫いいよしみつお


>>

やってきた、やってきた。
 
ひとつのことばがやってきた、やってきた
夜をぬってやってきた、
輝こうとした、輝こうとした。
 
灰。
灰、灰。
夜。
夜─と─夜。──目へ
行け、濡れた目へ。
 

 
     目へ
       行け、
         ──濡れた目へ
(…)
 

 
かわたれどき、ここに
日の灰色に、地下水の痕跡たちの
さざめき。
 

 
    (──日の灰色に、
       地下水の痕跡たち
             の──
 
まぎれもない
痕跡

境界へ
送り込まれて──。
 
草。
草、
きれぎれに書かれて。)
 
(吉増、前掲書、pp84-87)

<<


…これはもう、
僕のようなど素人には
手に余る詩だ。
何をどう解釈したら
いいのやら…。
吉増氏の言葉に
耳を傾けよう。


>>

 ツェランはアウシュヴィツ体験によって根源的な「傷」を負いました。いえ、もしかしたら、その体験以前から、この「傷」はツェランには負わされていたのかも知れない。(…)この痛苦とはおそらくは、少し前のことばで言いますと、「実存」レベルでの体験なのです。ツェランの場合、しかしその「感度」は、アウシュヴィツによって、もう、ものすごく増幅されてしまっている。とてもツェラン自身には、それに「表現」を与えることができないまでに。
 でも、それでも表現はしたいのです。言表不可能なものを前にして、立ちすくみ、だが、どうにもできないこともあらかじめ知っていながらも、それでもどうしても、何かを言いたい、表したい、でも、それはできない。でも、それでもやっぱり何かを表出しないでおくことは出来ない、……そんな苦悩、もどかしさ、激しく身をよじるような「もだえ」と切迫感、……言葉が言葉にそって尋ねているような、木霊こだまというよりもじつに哀切な襲ね合わせ、そういった根源的な「痛苦」に対して何とか表現を与えようとする苦闘、(…)その「痕跡」が、ツェランの「詩」と呼ばれているものなのです。
(…)
 たたみかける。つまり一つの言葉、思いが、申し分なくおのれを言表しようとしていると、そこに、もう次の言葉が来てしまう、……この切迫感こそが、この詩を成り立たせているものなのです。そしてこの「言い足りなさ」、「息の短さ」によって生まれる悲痛な「もどかしさ」の中にこそ、そうして、なんともいいようのない、それらの「十分に言表することを許されなかった」「声」のあとの「残された声」が聞こえて来ています。
 
(吉増、前掲書、pp87-88)

<<


「魂」の叫びを表現するとは
どういうことなのか?
ここにはその一つの方法が
見出せるのではないか。


まず、自身の抱える
根源的な「痛苦」を見つめる。
その痛苦は、あまりにも
魂の奥深くをえぐるがゆえに
もはや「言表不可能なもの」
となっている。
しかし、それでも表現をする。


言葉にならない苦しみを
言葉にしてすくい出さねばならない。
「……そんな苦悩、もどかしさ、激しく身をよじるような「もだえ」と切迫感」
これを表現するのである。


しかし、それを表現するとなると、
もはやまともな文章で表すことが
難しくなる。
魂からほとばしる声の表出、
叫喚きょうかんの嵐を
どうにかこうにかして
詩文の中に収めていく、
…そんな感じ。


「一つの言葉、思いが、申し分なくおのれを言表しようとしていると、そこに、もう次の言葉が来てしまう」
それは例えば
先の詩でいえば


>>

灰。
灰、灰。
夜。
夜─と─夜。──目へ
行け、濡れた目へ。
 

 
     目へ
       行け、
         ──濡れた目へ

<<


といった表現となって
現れてくる。
著者の言う
木霊こだまというよりもじつに哀切なかさね合わせ」
「たたみかける」ような「切迫感」
が見てとれる。


ツェランのこの詩の
「言い足りなさ」「息の短さ」──
僕のような素人が読むと、
この詩は何を表現したいのか
よくわからないと感じてしまうが、
そういう表面的な言葉の意味ではなく、
「「十分に言表することを許されなかった」「声」のあとの「残された声」」
それを読み取る
(というよりむしろ聴き取る・・・・
ことが大事なのではないだろうか。
そんなふうに僕は思った。