黙夫の詩の菜園 言葉の収穫

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詩の勉強

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑩

吉増氏は詩を書く際、ただ書くのではなく、目をつぶって書いたり、インクを垂らしたり、鏨(たがね)を紙に打ちつけたりするそうだ。それは世界に「穴」をあける行為であり、そこから「詩」が漏れ出くる。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑨

「かたちあるもの」へ抗うために身悶える──それが吉増剛造の詩に対する姿勢であると僕は捉えた。それはどういうことか? 『詩とは何か』第二部を読み解きながらそれについて書く。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑧

散文でも、物語でも、論理でもたどり得ない領域に「詩」は到達する可能性を秘める。ゆえに人は詩を詠み、詩に惹かれていくのだろう、ということを書く。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑦

詩を読むことだけが「詩」について学ぶことではない。今回はジョナス・メカス氏の映像作品を通じて詩について学んでいく。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑥

前回の記事に引き続き第二章「「戦後詩」という課題」を読む。吉本隆明の「日時計」、パウル・ツェランの「ストレッタ」という詩を通じて、詩における「魂」の表現の方法について学ぶ。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⑤

今回は本書の第二章「「戦後詩」という課題」を読む。敗戦によって受けた日本人の「恥」や「屈辱感」といったものが戦後詩には宿る。その一例として田村隆一氏の詩を挙げ、鑑賞する。

吉増剛造『詩とは何か』を読む④

純粋な母音の音が詩の根源性に通ずる、ということを学んだ前回の記事を受けて、今回はミシェル・フーコーの『言葉と物』という哲学書の中から母音について考えていく。

吉増剛造『詩とは何か』を読む③

美しい語の響きを構成して、音楽的なもの仕上げていくことだけが「詩」ではない。ただ純粋な音を表現することもまた、詩の根源性へと通ずる道となり得る、ということを学ぶ。

吉増剛造『詩とは何か』を読む②

吉増剛造『詩とは何か』の「序」の部分を読んでいく。そこで語られる「純粋言語」について、今回の記事では書いていく。一流の詩人の詩に対する考え方や姿勢を窺い知る。

吉増剛造『詩とは何か』を読む①

吉増剛造氏にとって詩とは、詩心とか思想とか個人の抱く想いとか、そうしたものよりももっと深くにあるもの、「名づけがたい根源的なところにあるらしいもの」を表現する手段のようだ。

吉増剛造『詩とは何か』を読む⓪

詩のことを何も知らないまま自作詩を載せるブログを立ち上げた僕。しかしそれでいいのかと思い、詩の勉強をしてみることにした。吉増剛造氏の『詩とは何か』を読んで学んだことを書き連ねていく。今回は導入編で本の内容に触れるのは次回から。